ストーリー

不二夜ベルタ 笑わないシャドウ #10

文/河端ジュン一

 3日目の日が沈みつつある、夕暮れの中。
 ベルタとクリストファは島民たちと別れ、白い大樹を目指して森を進むことにした。ここから先は、さきほどのように敵の術士から襲われる危険性も増すだろうから戦闘力の低い島民たちを連れていくわけにはいかない。
 ただ、道筋は彼らから聞いてわかっている。
 途中、いつかと同じように「無限ループ」の現象に再び襲われた。
 目先の道が今までに歩いたものと同じだと気づいて、ベルタは呟く。
「やっぱりまだ、この現象は続いているんだ……」
 無限ループについて最初、クリストファは言った。
 ――これほどの情報操作は、おそらく数十人程度の島民の仕業ではない。もっと大人数が必要となるような、儀式じみた神醒術によるものだろう。
 けれど意外にも、島民たちに訊いてみると知らないと言われた。
 となると、解除方法はベルタとクリストファが自分たちで見つけないといけない。
 ベルタが困っていると、クリストファが平然と返した。
「いや、心配はいらない。これの原因については既に見当がついている」
「え?」
「覚えているか? F――フィリッパとのミズガルズを通した信号が途絶えたことを。通常ならば圏外になどなるはずのない、神醒術での通信が歪められた」
 ああ、とベルタは頷く。そういえば、あれについても島民は知らないと言っていた。
「このふたつは、おそらく同一の妨害工作によるもの。知覚操作系の神醒術が、ここら一帯に張り巡らされているのだ」
「知覚操作……いったい誰が?」
「島民でないのならば、侵入者以外に有り得ないだろう」
 とクリストファが言いながら、視線を前方へ向けて目を細めた。
 ベルタもそちらに顔を向け、そして、そこにひとりの男が立っていることに気づいた。

 血の気の薄い男だった。医者のような白衣の上に、黒いファーのついたコートを着ている。
「君たちは招かれざる客だ。引き返すがいい」
 男は静かな表情で言った。
「思ったよりも大胆だな。犯人自ら、わざわざ我らの目の前に出てくるとは。どういう意図だ?」
 クリストファの質問に、しかし男は答えず、代わりに続ける。
「緑は私で足りている。余計な色は、真理を濁すだけだ」
「色? 真理? 意味を計りかねるが」
「引き返せ。さもなくば――」
 言い終えるよりも前に、男は手をこちらに翳した。その掌から放たれたのは、冥神の氷。存在を情報ごと凍てつかせるルーンの神醒術だ。
 氷霧のつぶてがクリストファへと弾丸のように飛来する。
 しかし、それにクリストファも、同じく動ずることなくゲートを起動する。
「なるほど。話したくもないし通したくもないというわけか。しかし、この術が大がかりな儀式でなく個人レベルの小細工だとわかれば――」
 言った途端、彼を中心に、バーストによる深緑の炎が勢いよく四方へ放出される。その光と熱に当てられると同時に、目先に見えていた男の攻撃――いや、男を含む風景そのものが蜃気楼のようにデロゥと爛れた。そして次の瞬間には――
「我の道程を阻むことなど許さない」
 クリストファの言葉に合わせて『空間』が燃えあがる。
《炎のルーン ケン》。その緑炎は、化学反応としての火ではない。情報そのものを焦がす神の炎だ。漂っていた幻をまるごと消去(デリート)する。
 緑の炎の中で、白衣の男が全身を燃やされている。ベルタはそれを見つめ……しかし、彼が口を裂かんばかりに笑っていることに気づいた。
「…………クカカ、後悔することになるぞ。人間よ」
 そう言い残す男は、もはや先ほどの白衣姿ではない。爛れた衣服と皮膚の下から現れたのは、よれた緑色のジャケット。つぎはぎだらけのズボン。そして、顔の左に刺青のような紋様――まったく別人の少年だった。
 少年はクカカカカカカ!と甲高い不気味な笑い声を森に響かせると、やがて火の粉と煙とともに空間に溶けて消え失せた。
「…………あれは」と、ベルタが唇を引き結ぶ。
「ああ。人間ではないな。神格か……いや、もっと何か別の神的存在のようだった」
 結局、目の前に現れたあの男と少年の姿すらも、精神操作系の神醒術の一端でしかなかったということだろう。そう結論づけて、ふたりは溜め息を吐いた。

 ともあれ炎の鎮火とともに、無限ループが解かれ、本当の風景が戻ってきた。
 そこを改めて見れば、何人もの人が目の前の地面に倒れていた。全員が似たような、主教めいたひらひらした服装をしている。中にひとり、ひときわ豪華な、赤い礼服のようなものを纏っている幼女もいる。
「こんな女の子まで……? ひどい」
「耳を見ろ。ゲートがついている。これでも神醒術士だ。侵入者のひとりだろう。おそらく、先ほどの知覚操作系神醒術に、手も足も出せずにやられたのだろうな」
「……身体がずぶ濡れなのは?」
「さあな。ただ、近くで川の音がする。どういう理由かは知らぬが、流されて、命からがら助かったところを襲われたのかもしれない」
 そのうえで戦闘になったのなら、散々だったろう。ベルタは目をつぶり、内心で彼女らの冥福を祈る。
 ただ、そんなことをしている暇もあまりなく、ベルタの肩をクリストファがぽんと叩いた。瞼を開けて彼に目を向けると、彼は空を見つめていた。つられてベルタも視線を上へずらす。
 するとすっかり日の落ちた空を、なんとも神々しい4色の帯――筆を走らせたような跡が、彗星のごとく走ってゆく様を目撃した。ベルタはその美しさに息を呑む。
「あれは……?」
「島民たちが言っていた、門を開く手筈が整ってしまったのかもしれない。急ぐぞ」
 クリストファの言葉にベルタは慌てて頷く。速足で進むクリストファに続いて、ベルタは倒れている一団を哀れに思って一瞥しつつも、振り切るように地面を強く蹴った。