ストーリー

恵比寿 ユイ 天駆けるレスポンス #1

文/河端ジュン一

 とある月のはじめ。祝日が重なった関係で、学園が一週間ほどの休暇に入った。黄金八幡祭のあとは、そういえばそういう週間だったなとユイは思い出す。
 せっかくのまとまった休みということで、ユイは観光旅行に出た。
 一人旅だ。
 目的地は、北欧のとある都市。
 その街を選んだ特別な理由はない。とにかく遠く、海外に行きたかっただけだ。
 神醒術を学ぶ生徒たちは、同年代の一般的な子たちよりも多く、日常の中で自分を見つめなおす機会を持つ。
 自己の脳内に描かれるイメージを知り、世間一般的な視点から見た情報との差を理解することが、神格の顕現に役立つからだ。その結果、思春期独特の衝動とも相まって、自分探しとまではいかなくても旅に出たくなるのはよくある傾向だ。
 朝に家を出て、ホテルに着いたときには、まだ夕方だった。
 本来は移動時間だけで半日以上かかっているはずだが、日本のほうが時刻が7時間も早いおかげだ。
 逆に言えば+7時間の疲労が身体には溜まっているはずだが、時差を1日目で克服するためにも、ユイはむしろもっと自分をいじめることにした。
 部屋に入るやいなや、日本から持ってきていた剣術用の袴に着替え、剣を握った。
 ユイは幼いころから、毎日素振りを欠かさない。
 それはたとえ外国に来ても同じだ。1日サボれば、カンを取り戻すのに3日かかるから。
 もちろん袴までは持参しなくてもいいのだけれど、そこは個人的な感情が理由だった。平時とは違う、かっちりとした衣装を纏うほうが、心を研ぎ澄ませる気がする。
 5セットの素振りを終えたところで、服を脱いで、タオルで汗を拭き、スポーツブラに着替えてベッドに寝転がり、即座に爆睡した。
 こうして1日めに観光は諦めた。
 まあ、ツアーをつけてもいない、自由気ままな旅が目的だったので問題ない。

 そのまま朝まで寝てやろうと思っていたのだけれど――
 夜。 
 近くを通る車のクラクションで、はたと目が覚めた。
 じっくり2、3秒は天井を見つめる。多少の傷はあるが、それでも清潔感は充分な白だった。
 瞼をむにゃむにゃと、胸元に抱えるように握っていたシーツで擦りつつ、上体を起こす。
 誘われるようにベッド脇へ。窓から、外を見下ろした。
 小雨が降っていた。
 そこそこ栄えた都市である。
 家々の壁はまっ白、黄色、山吹色、若草色と鮮やかな彩色で可愛らしく、パターン模様の施された駅前の待合場所、レンガが敷き詰められた昔ながらの裏路地、装飾の凝った電灯……日本とは少し違う、洋画のような雰囲気。
 旅行会社のパンフレットを見て街の様子はあらかじめ知っていたが、夜の、しかも雨となるとまた一段と光の具合が美しく、非日常に足を踏み入れた実感が強まってゆく。
 窓を開けて、同時期の母国よりもだいぶ冷たい夜風に当たる。小雨の中に顔を突き出して、眼下の道沿いに目を走らせる。クラクションを鳴らした車は、どうやらもう遠くへ行ってしまったらしい。
 事故じゃなくてよかった、なんて思いながら、肌寒さを感じて、窓を閉めようと手をかけた――そのときだった。
 見下ろした、すぐ下。
 車が行き交う車道の真ん中に、人がいた。おそらく男性。
 彼は傘をさすでもなく、どこへ向かっている様子でもなくさまようように、行き交う車の隙間をよたよたと歩いていた。まるで酒にでも酔っているみたいだ。
「危ないっ」
 思わずユイは声を出す。
 クラクションの理由は、十中八九彼だろう。
 困っている人を見れば、放っておけないのがユイの性格だ。厳密には、この場合困っているのはドライバーのほうだろうが、そこまでは頭が回らない。
 とにかく彼に事情を聞こうと、ユイは下着の上からカットソーとゆるいパンツだけを着て、ホテルの外に出た。
 
「ねえあなた、どうしたの?」
 ユイは、二車線を行き交う車越しに、その人物に英語で話しかけた。ホテルも駅も、このあたりは英語が通じるから、もしかしたら通じるかもしれない。
 ユイの声は雨の車道でもよく通る。ふらふらの人物は、こちらを振り返った。
 少年だった。
 ユイよりも幼い、まだ十代前半。
 綺麗な白銀色の髪。毛先だけが、そういう体質なのか、黒っぽく染まっている。
 滴る雫を追うと、その足元は裸足だった。
 事情はわからないけれど、ユイは心臓をぐっと握られたような感覚に陥る。
 少年は答えない。
 ユイは、車の通行が途絶えたのを見計らって歩み寄る。少年は、びくっ、と警戒心を見せ、獣のように歯をむき出して威嚇する。
 しかし、ユイがじわじわと間隔を詰めると、ホテルの対岸にある建物の壁に追い詰められて歩を止め、そこで疲労がピークに達したのか、ふっと意識を失った。
 ユイは慌てて駆けより、彼を腕に受け止めた。