ストーリー

常盤シャンティ 外伝 家庭科は5

文/河端ジュン一

 学園の昼休み。
 係の仕事を片付けて教室に戻り、待ってくれていたテドちゃんと一緒にご飯を食べはじめると、やがて彼女から遊びのお誘いを受けた。
 もちろんありがたいことだけれど、少しだけ不安だ。「今度もイベント?」と尋ねると、テドちゃんは「違うよ違うよ!」と首を振る。
「シャンティちゃん、美容に興味ない?」
「え?」
「三丁目に、美容によくて疲れも取れて、すっごく気持ちのいいビューティサロンがあるらしいよ!」
 ……なんだか、どこかで聞いたような話だ。確か魔王の会に行ったときにも誘い文句は「気持ちのいい時間が過ごせる」とかそんな感じだったような気がする。
 今度こそは大丈夫なの?と尋ねたかったけれどできない。今度こそもなにも、テドちゃんはあの日の事件の記憶を持っていない。前回だって何の問題もなくイベントが終了したと思い込んでいる。
 シャンティは仕方なく上目づかいでテドちゃんをうかがう。
「……信用できるお店、なのかな?」
「もちろんだよ!」
 と、テドちゃんは太鼓判を押した。シャンティは苦笑のような微笑みを返しながら、まぁそうなんだろうな、とは思っていた。
 テドちゃんの太鼓判は、残念ながら鵜呑みにはできない。テドちゃんは人の言葉を信用しすぎるところがあるから。
 結局シャンティは、またテドちゃんが危険に及ぶ可能性が心配で、彼女の誘いに乗ることにした。

 その週末に駅前で待ち合わせた。テドちゃんの指定でなぜか夕方になったのだけれど、その理由は到着した彼女を見たらわかった。テドちゃんは髪が丁寧に切り整えられ、整髪料のいい香りも漂わせている。昼間に、美容室をすませたとのことだった。
「やっぱり、ビューティサロンに行くからには綺麗にしていかなきゃね!」
 綺麗になるためにビューティサロンに行くんじゃないだろうか、と思ったけれどそれを口にするとテドちゃんの機嫌を損ねるような気がしたので胸の内に秘めておいた。代わりに、
「うん。とっても可愛いよ」
 とだけ返す。
 テドちゃんの誘導で、道の角を曲がって入ったのは歓楽街だった。映画館、飲食店、加えて時間を潰せる施設であるカラオケボックス、ネイルサロンやフィットネスジムなども立ち並んでいる。テドちゃんが数分前までいた美容室も、この通りにあるのだという。
「こっちは女性向けの施設が多いけど、いっぽん外れるとそっちはバッティングセンターとか、居酒屋、ダーツバーなんかがあるみたいだよ」と、テドちゃんが、自慢げに説明をしてくれる。テドちゃんが嬉しそうにしているところを見ると、シャンティも心なしか気持ちが暖かになる。彼女はやはり、シャンティにない魅力をたくさん持っている。危険な目に合わせたくはない。
 目的のサロンは、思ったよりもさびれた建物にあった。特徴に乏しい、こじんまりとした5階建ての雑居ビル。普通に歩いていると見逃して通り過ぎてしまいそうな、目立たない、素俗な建物だった。
 外から1階のガラス戸の中を覗いた限りでは、1階にはエレベータと階段があるだけだ。ビルから突き出した看板を見上げると、2階から4階までにはテナントの表示がなく、5階にのみ、お店の名前がある。
「総合ビューティサロン、マラティ」
 と、シャンティは看板に書かれた明朝体のフォントを読み上げた。
「ここだね」
 とテドちゃんが真新しい靴でも誇るみたいに胸を張った。
「名前だけじゃ、どんなことがおこなわれてるのか、わからないね」
「え? ビューティサロンでしょ?」
「それはそうなんだろうけど……」
 これまでに得られた情報をまとめると、総合的な、美に関する接客を行うサロン、ということになるのだけれど、サロンというのは確かもともと客間という意味だったように思う。お店なのだから客間があるのは当然で、つまり接客の具体的な内容については不明だ。つくづく、テドちゃんは怪しさ満点の噂ばかりを仕入れてくるなぁと感心してしまう。念のためについてきてよかった。
 ほら早く、とテドちゃんがシャンティの手をひいた。雑居ビルのガラス戸をくぐり、中に入る。

 1階には、年季の入ったエレベータと、狭くて暗い上り階段とがある。シャンティはテドちゃんと一緒にエレベータに乗って、5階に上がる。到着してエレベータが開くと、フロアの狭さに驚いた。一歩踏み出したすぐ目の前がお店のドアだった。ドアはスモークのかかったガラス張りで中を窺えない。「総合ビューティサロン マラティ」という店名だけがやはり書かれている。
 入りにくい、と素直に感じる。でもテドちゃんは「わくわくするね」なんて言ってドアを開けた。
 まず思ったのは、すごく暗い、ということだ。足元は三和土になっている。今のところ、他にお客さんの靴はない。傘立てと並んで、ぼんやりとオレンジの光を灯す縦長の間接照明が置かれている。そのライトがこの場唯一の光だった。天井に電球はない。
 右手すぐには歯医者さんにあるような、カウンターの受付が設けられている。
「いらっしゃいませ」
 と、ぼそりと呟かれるまで店員さんの存在に気づかなかったのでびっくりした。顔をサリーのような黒い布で隠している女性が、カウンターに座っている。彼女はこちらを向いてはいるのだけれど、布のせいで目がどこを見ているかまでは判別できない。
 カウンターの上には、お香入れだろうか、エスニックな模様の陶器が置いてあり、そこから漂う匂いが鼻孔を刺激した。入店早々、かなり独特の雰囲気に呑まれて、シャンティはちょっと臆してしまう。
 ただ、その点テドちゃんはさすがで、受付の人にはっきりと言った。
「あの、私たち初めてなんですけど」
 女性がこくり、と頷いて、ふたりぶんのクリップボードを差し出してくれる。そこに挟まれた紙に氏名、年齢、電話番号とメールアドレス(任意)、美容に関する悩み・相談点を書いて提出する必要があるようだ。
 受け取ってから靴を脱いで上がり、スリッパを履く。暗くて見えにくいけれど、左手には3人掛けのソファが設置されている。そこにふたり並んで座った。シャンティは電話番号までは正直に書いたけれど、メールアドレスはなんとなくの警戒心から飛ばした。美容に関する悩みもよくわからないから放っておきたかったのだけど、ビューティサロンに来ているのに悩みがないというのはさすがにおかしい気がしたので、顔のむくみ、とだけ書いた。
 自分の容姿について不満を書くのは両親に悪いとも思うけれど、強いて挙げるなら、同級生の中で身長が高いわりに童顔なのを気にしているのは本当だ。普段食べている、おうちのカレーの栄養価が高すぎるせいではないか、とひそかに予想している。とはいえ、シャンティが家庭科の通知表で5を貰えるのはそのお手伝いをしているおかげでもあるし、なによりカレーはとても好きなので、それが悪いだなんてちょっとも思っていないのだけれど。

 クリップボードをふたり揃って受付に提出し、しばらく待つ。
 やがて女性が、それぞれの名前と部屋番号を告げた。ぼそぼそとした口調だったけれど、その声は店内アナウンスとしてどこかのスピーカーからも流れてきたのでかろうじて聞き取れた。……受付とソファはほとんど目の前の距離なのだから、ちょっと声を張ればアナウンスしなくても聞こえるのにな、とシャンティは奇妙に思ったのだけど、でもひょっとするとこういうひとつひとつのギミックが、雰囲気づくりの一環かもしれない。
 ともあれ、ふたりは立ち上がる。受付から遠ざかるように、店の奥には廊下が続いている。やっぱり暗くて先は確認しづらいけれど、木目調のドアが3つ並んでいるのはわかる。テドちゃんと顔を見合わせた。それからテドちゃんはアナウンスで言われた通りに、2番目のドアを開けて入った。それからシャンティも、一番奥の部屋に進む。
 中は先ほどまでと同じく、明かりが間接照明のライトだけの、薄暗い部屋だった。
 それに、シンプルだ。
 6畳ほどの空間に絨毯と、その上に低反発っぽいマットが敷いてある。奥の壁際には、小ぶりなバスケットがあって、そこに着替え用のTシャツが入っている。シャンティはそちらに着替えて、脱いだ服は手荷物と一緒にバスケットに入れた。終えたころに、ノックがあって、お召しかえはお済みですか、と訊かれたので、はい、と答えると背後のドアが開いて女性が入ってきた。
「ようこそ、お嬢さん。オーナーの小林マラティです」
 なめらかな、耳触りのいい声。
 それに、すごく綺麗な人だな、とシャンティは思わずため息を吐いた。
 日本と南アジアの血が混じっているだろうことは名前からも、自分と同じなのでわかったけれど、でも彼女はシャンティよりもっと妖艶というか、このお店に合ったアダルトな雰囲気を持っている。服は、白い布を巻いた民族風の衣装で、ほとんど裸に近かった。シャンティのほうが恥ずかしくて、ちょっと視線に困る。このお店は女性客限定だったっけ? じゃないとちょっと危ない。
 彼女の手には、シャンティが記載したものだろうクリップボードがある。後ろ手にドアを閉め、その女性は言った。
「――顔のむくみ、ね。まぁ細かなことはおいおい訊いていくとして、まずはそのマットにうつ伏せで横になってもらえるかしら?」
 命じられるがまま、シャンティはマットに身体を伏せる。その直後、背中に重みを感じた。女性が跨るようにしてシャンティの上に乗ったのだ。
 え、と声を吐き出すシャンティの耳元に、女性は唇を近づけて、大丈夫よ、優しくするから、と言った。吐息が顔にかかってこそばゆい。マットに押し当てられているせいだろうか、胸を叩く自分の鼓動をいつもよりも強く感じた。

 それからの30分間をシャンティは思い出したくない。
 マラティと名乗った女性は、シャンティの背中、肩、腋、首筋、頭頂部を念入りに触り、お尻、太腿、ひざの裏、ふくらはぎから足首、足の裏までを執拗なほど揉みしだいた。妙なくすぐったさで身をよじったけれど、中止を訴えることもできずシャンティはただされるがままだった。しかもクリップボードに書いた悩みのメインであるところの、顔にはほとんど触られなかった。
 でも彼女は、顔のむくみを治したいからといって顔をマッサージすればいいものじゃない、と説明した。リンパと汗腺に効くマッサージだから顔のむくみも解消できる、と。
 聞いているうちは半信半疑だった。でも恐るべきことに、マッサージを終えてから渡された鏡を見ると、そこに映る自分の顔は明らかに輪郭がすっきりとしていて、さらに、いつもよりも血行がよさそうにも思えた。心なしか全身を軽くも感じる。
 服を着替え直したシャンティは、素直に感心する。こういう美容法も世の中にあるんだなと。
「……ありがとう、ございました」
 女性は優しく微笑み、両手でシャンティの両肩を擦った。
「悩みができたらまた来てね。今日のは入門編だから、次はオイルを使ってもっと気持ちよくしてあげる」
 手を振る彼女に頭を下げて、部屋を後にする。廊下では、ちょうど同じくドアから出てきたテドちゃんと鉢合わせた。受付に戻って支払いをする。料金は初回割引と学割が併用できるとのことで、驚くくらいに良心的な価格だった。

 店を出ると、時刻は夕方で西日が眩しかった。そこでやっとテドちゃんの顔をまともな明かりの下で見ることができた。シャンティと同じで、彼女の血色はやっぱりよくなっていた。表情も満足そうで、その顔を見られただけでシャンティも充実を感じた。
 テドちゃんを心配してついて来てみたけれど、あのお店なら彼女が通っても問題なさそうだ。
 ……オーナーのマラティという女性は、なんだか妖しくてシャンティは苦手なので、一緒に来るのはちょっと勇気がいるけれど。
「遅くなる前に帰ろう?」
 と、シャンティは提案する。
「うん、そだね。ちょっと近道しよっか」
 歓楽街を通り抜ければ家までは近い。込みはじめた大通りには、スーツや仕事用の作業服を着た人たちが集まりつつある。夜は大人の時間だ。
 テドちゃんは、はぐれないように手を引いてくれている。その温もりを感じながら、シャンティはふと気づく。温かいのは手だけじゃない。耳から頭頂部にかけてが、まるで神醒術を使ったときみたいな微熱をずっと含んでいる。そういえばマラティと名乗ったあの女性の耳にはゲートが付いていたような気がする。ひょっとして彼女のマッサージには神醒術士がふだん酷使する脳をリラックスさせる効果もあったのだろうか? だとしたら、どうしてそんなお店を不特定多数に対して開いているのだろう……?
 不思議に思ったけれど、深く考える間もなく、人ごみがさらに増してテドちゃんの握る力が強くなるのを感じた。シャンティもその手を離さないように、慌てて強く握り返し、ふたりで歓楽街を抜ける。